32歳で退職した教員が今思う「人間的に成長するとは」

 

中学校教員を退職して32歳現在の私の考えの整理整頓。

今日の考えの整理整頓のお題は「人間的成長とは何か」

 

大きすぎて、こんな私が語るのもおかしいけど、

これまでも教員として勤めてきて、学校教育が目指す価値観、実際現場でやっている価値観、自分との価値観がちぐはぐすぎたこと、

そして、今の学校では足りないところを補える、子どもの選択肢を増やせる教育者として活動していきたいと考えているので、(なんと傲慢な!けど、やりたいのさ)

ちょっと語らせてください、というより自分の頭の整理整頓です。

 

32歳で退職した教員が今思う人間的成長とは「認め合うこと」

32歳、中学校教員を退職して半年も経たない現時点での考え。

私なりの人間的成長とは「認め合うこと」だと思っています。

 

人間皆顔が違うように、性格も、得意なことも、好きなことも、いろいろです。

なので、生き方、人生の目標もさまざまなので、一概にこれが人間の成長だよとは言えないと思いますが、一つ共通しているのが、この「認め合うこと」と私は考えます。

 

うつになって、もう人と接するのめんどくさい、だからネット上で生きていく!と数回思ったことある私ですが(笑)、直接会うにしても、ネット上でも人間は人との繋がりを避けては通れないと今つくづく反省しています。

 

先ほども書きましたが、人間皆顔が違うように、性格も、得意なことも、好きなことも、いろいろです。

こういう抽象的な、大きな意味では多くの人が理解できるのですが、実際に自分の周りの人に対しては、どうでしょうか。

 

批判したり、悪口を言ったりすること、言葉に出さなくても、批判や悪口が頭によぎることがあると思います。

私はめちゃくちゃ頭によぎります(笑)

 

そういう邪念?が頭によぎるたびに「自分ちっちゃいなー」と思います。

そして、その度にまだまだ仏の域にいけないなぁと(笑)

抽象的なことは頭では分かっているのに、感情が揺れるみたいな感じ。

 

まぁそれが人間らしいと言えば人間らしいのですが、最終的には目の前にいる人に対しても、意見が合わないときや自分の思い通りにならないときに、イラっとせずに「人間だもの」とスッと思える人間になりたいものです。

 

しかも、他人を自然と認められる人間になれたら、余計な感情が動かなくていいから、楽ですし。

あー、でも感情こそ人間なのか…まぁ、「余計な」というのがポイントですね。

うん、難しい(笑)

 

「ある1つの肯定の主張=それ以外の批判」ではないことを理解することが認め合う上で大事

これ、受け取り側として、私自身も思っちゃいがちですが、

それぞれ個人の主張、考えがあって、「特定のあることの肯定の主張=それ以外の批判ではない」ということ。

 

例えば、「カレーが美味しい!=カレー以外はまずい」ではないですよね。

ブログやTwitterで発信するようになって、これは本当に思います。

発信って主張するしかないから。

 

そういう私はかなり学校教育の否定もめちゃ書いてるというね(笑)

人間できてないやつの戯言だと思ってくだされ。

 

自分の中のきっかけとしては奈良県庁を辞めたハルさんとの対話でして、この時にハルさんに

ハルさん
批判ではなくて、共存して、役割を担っていくほうがうまくいくよ

と聞いて、ハッとしたわけです。

 

一応それからは気をつけてはいるんですが、まだまだかなり学校教育批判派になってしまっています(汗)

なので、「特定のあることの肯定の主張=それ以外の批判ではない」はまさしく自戒でございます。

 

でも、ハンバーグ作っている人(受け取る側)はこの「カレーが美味しい!」という主張、ドキッとするんですよね。

主張する側も気をつけなければいけませんが、大事なのは受け取る側の受け止め方だと思います。

 

「カレーが美味しい!=カレー以外はまずい」ではなく、

「カレーが美味しい!=カレー以外は視野に入っていない」と考えるのがベストです。

 

「特定のあることの肯定の主張=それ以外の批判ではない」ということを理解することは、認め合うことにとてもつながると思います。

 

学校外から多様な価値観、異なる視点を与えまくるのもアリ?

自分も含めて、他人と認め合えないのは、多くの人が学校教育で「こうすべき!」「こうあらねばならぬ』と一つの価値観で押さえつけられている影響も大きいのではと思います。

しかも、義務教育で学校行くしかないですからね。

 

学校教育が全て間違っているとは言わないけど、もし学校教育で間違っていることを押し付けられたら、どうなるでしょうか。

まぁ、間違っているという概念自体、認め合う世界ではないのかもしれないけど。

 

選択肢が多すぎると選びづらくなるという研究もありますが、子どもの時にあらゆる選択肢をあげて、自分で決めることが重要なのかなと思います。

 

となると、私ができることは、私自身ができるだけの多様な価値観や異なる視点を見て、体験して、それを伝えることなのかなと思います。

学校で教えない価値観をひたすら提供していくみたいな。

それを受け取るか受け取らないかは自由でして、私はとにかくそれを発信する。

 

積極的マイノリティーになることですね。

楽しくなってきた(笑)

 

そうしたら、

  • 勉強する
  • 情報とる
  • 行動する

しかないですね。

 

教育って大事、おもしろい!

こういう頭の整理整頓をするたびに、教育って大事だなとつくづくと思いますし、教育って面白いって思います。

だから、自分は教育をテーマに何かしたい。

 

学校教育が全てじゃないぞってことを、自ら体感して、伝える。

自分は自分が見ている世界だけでもそう感じるので、まだまだパワーアップできそうです(単純)

 

頭の整理整頓できたかは謎だけど、私が思う人間的成長「認め合う」という仏の域に達する過程を楽しみに生きていきたいです。

 

 

あわせて読みたい

*マイノリティーの考え方は新しい発見がいっぱい
教育とは「自分の考えを大事にすることを教えること」だと思う

*義務教育で子どもを教育するなら、仏の域に達せねばならぬ?
教員が視野を広げた方がいい理由とその方法

*依存を増やすことで依存がなくなり、自立できるというからくり
依存を増やすことが自立につながる。所属するコミュニティを増やそう

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です