体育教師の評判悪すぎな理由

 

あなたは体育教師についてどんなイメージを持っていますか?

私、元体育教師としてTwitterで発信してるけど、体育教師っていいふうに思われてないんですよね。

 

他にも、

「体育教師=脳みそ筋肉」なんて書いてあることもしばしば。

なぜこんなに体育教師はひとくくりにされて、評判が悪いのでしょうか。

想像が多々ありますが、自分自身も元体育教師だった私がちょいと考えてみました。

 

なぜこんなに体育教師は評判が悪いのか

ざっくり説明すると

自分自身が厳しい指導を長い間経験して耐え抜いている人が多い

自分が指導を受けた通りにそのまま指導すれば良いと思っている人が多い

生徒指導、生活指導を担当してることが多い

アメとムチのムチの担当(悪者役)になることが多い

1つずつ説明します。

 

自分自身が厳しい指導を長い間経験して耐え抜いている人が多い

体育教師は自分がずっとやってきた専門のスポーツがある人が多く、それなりにいい成績を残している人が多いです。

昔は国体などの出場経験があると教員になりやすかったとか…)

同じスポーツを長い間やって、それなりにいい成績を残すには、かなり厳しい門をくぐっています

 

2019年のこの時代に教員になっている30歳以上は皆昭和生まれ。そして、今新卒の先生でも自分が現役の時に教わっているのはほぼ昭和生まれのはずです。

と、考えると(あくまで憶測ですが)今のほとんどの体育教師が昭和式のスパルタ指導で育っていると考えられます。

 

自分が指導を受けた通りにそのまま指導すれば良いと思っている人が多い

教員になるには大学を出て、教育系の単位を取って、教員免許を取得しなくてはいけませんが、どう指導したら良いかという具体的なことはあまり学びません。

なので、自分が学生の時に指導されたように指導する人が多いです。

 

しかも、体育教員は授業より部活動の思い出が濃い人が多いので、部活動での指導された方法の真似をしてしまうのでしょう。

あとは「自分がスポーツで成績を残せたのは厳しいことを乗り越えてきたからだ!」と信じきっている人もいるのも原因ですね。

 

生徒指導、生活指導を担当してることが多い

学校では生徒指導、生活指導の担当が全校で1人が主任となり、学年でも1人担当することが多いです。

基本、生徒指導、生活指導は体育の教員が多いですね。

なぜ、体育の教員に生徒指導を任せるのか。

自ら「やります!」っていう体育教員もいるかもしれませんが、自動的にそうなることが多いです。

 

アメとムチのムチの担当(悪者役)になることが多い

なぜ体育教員が生徒指導、生活指導の担当になるか。

上記のことから、体育教員はムチ的な役割をすることがとても多いです。

「厳しさは体育教員から学べ」的な。

 

体育教員がムチ的な役割をして、担任や他の先生がアメの役割をする。

体育教員って悪者を演じる立場をやらなくちゃいけないんですよね。

まぁ、好きでやっている人も結構いると想像します。

 

平成も終わるから昭和的な指導はもうやめよう

実際に脳みそ筋肉な教員がいるのは事実です。

でも、みんながみんなそうじゃないってことは世の中の人にも知っておいてほしいし、校長とか管理職にも知っておいてほしい。

 

私は、1つのスポーツをずっとやってきた人間でなく、嫌になっては辞めを繰り返し、結果的にいろんなスポーツを経験できて、そのスポーツのコツみたいなのはある程度学べたし、できない続けられない人の気持ちも比較的理解していると思っているタイプ。

そして、強い怒鳴る指導は考えることを辞めてしまうことになると考えるし、そんなに強く怒鳴れるほど、お前は立派なのかって思ってしまいます。

 

もう体育教員=悪者、脳みそ筋肉的なのやめましょう。

体育も他の教科と同じ。どうやったら上手になるか、生徒の人間力が向上するかを考えて指導する。

そう考えたら、特有のスパルタ的指導はなくなるはずです。

こんな体育教師が増えて、周りからの理解も得られるといいなぁ…と思います。

 

 

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1 個のコメント

  • ライオン先生です。
    取り上げていただきありがとうございます。
    とてもうれしいです。
    私のTweetやコメントで良ければどんどん使って下さい☆

    種明かし(?)ですが、
    私自身はまさにこの記事の内容の「評判の悪い体育教師」だったと思います。
    今でも年賀状をくれたり、お食事会に誘ってくれたり、成人式に誘ってくれたり、
    「ライオン先生用のような先生になりたい。」と言ってくれている教え子がいたり、(自慢です。てへぺろ)
    としていますが、強引で乱暴で凶暴なライオン先生が過去にいました。(今でも…かもしれません?)

    その時代は、私の中でもっとも優先されるものが=「生徒」だったのです。
    全力で怒鳴り、全力で叱り、全力をかけて授業や部活動をするのが
    私の中で、愛であり、大正義であり、憧れの先輩教師のように振舞っていました。

    嫌われることが学校組織のためだと思っていました。
    生徒を厳しく鍛えることが生徒の人生のためだと思っていました。

    しかし、家族ができ、子どもができて、守るべきものができました。
    よって、私の中での優先順位が「家族」>「生徒」になりました。
    訴訟やクレームなど起こされたら家族の時間を奪われてしまいます。

    世の中(Twitter含む)で言われているブラックなことは極力やめました。
    そうすると、物事を本質的に考えて、本当に必要な『指導』とは何かを考えるようになりました。
    そうすると、学校や教師の都合で「ダメ」としてきたことは本当は「どうでもいい」ということに気が付きました。

    自分の子どもができて考えが変わりました。
    今の生徒たちと出会って考え方が変わりました。

    種明かしと書いたのは、
    実は自分自身がブラックだったからなのです。
    その裏には打算的で利己的なライオン先生がいたのです。

    私が今の生徒たちに授業をしている時に、
    過去の生徒たちが亡霊となってつぶやきます。(生きていますが)
    「ライオンせんせー。昔と違ってあまくないすかー?」
    「ごめんなさい!」

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